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東京地方裁判所 昭和58年(ワ)13644号 判決 1985年8月30日

原告

株式会社木成建設

右代表者

木内勇成

右訴訟代理人

新井泉太朗

山野光雄

被告

宮下栄吉

右訴訟代理人

佐々木敏行

主文

一  別紙記載の仲裁判断は、執行することができる。

二  訴訟費用は、被告の負担とする。

三  この判決は、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

主文第一、二項と同旨の判決及び仮執行の宣言

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告を申請人、被告を被申請人とする東京都建設工事紛争審査会(以下「都審査会」という。)昭和五三年(仲)第六号建設工事紛争仲裁申請事件について、都審査会は、高場茂美、石橋秀雄及び甘利亀司の三名を仲裁委員として昭和五八年一一月二四日別紙のとおりの仲裁判断(以下「本件仲裁判断」という。)をした。

2  本件仲裁判断の正本は、昭和五八年一二月一日原告及び被告に対して送達された。

3  よつて、原告は、本件仲裁判断について執行判決を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因事実は、全部認める。

2  本件仲裁判断の根拠をなす建設業法及び民事訴訟法の規定等につき次のとおり憲法に違反する点があるから、本件仲裁判断は、効力を有しないものである。

(一) 本件仲裁判断は、建設業法第二五条の一五以下に定める手続によつて行われたものであるところ、同法第二五条の一六第四項は、建設工事紛争審査会(以下「審査会」という。)の行う仲裁について、同法に別段の定めがある場合を除き仲裁委員を仲裁人とみなして民事訴訟法第八編の仲裁に関する規定を適用する旨を定めている。しかし、仲裁に関する民事訴訟法の規定ことに同法第八〇〇条、第八〇一条の規定は、次のとおり憲法第三二条に違反する。

すなわち、民事訴訟法による仲裁においては、当事者間で仲裁契約が締結されると、裁判所の通常の訴訟手続によつて紛争を解決する途が閉ざされるうえに、仲裁判断は、これに対する通常の裁判手続による不服申立が許されないまま、確定判決と同一の効力が認められ(同法第八〇〇条)、その取消を求めるには、再審事由に該当する厳格な事由があることを要するものとされている(同法第八〇一条)から、結局民事訴訟法第八〇〇条、第八〇一条の規定は、憲法第三二条が保障する裁判所において裁判を受ける権利を奪うものであつて、同条に違反するものである。

(二) 建設業法第二五条の一六第四項、民事訴訟法第八〇〇条は、行政機関である審査会の仲裁判断につき確定判決と同一の効力を認めているが、これは、行政機関が終審として裁判をすることにほかならないから、右規定による仲裁は、憲法第七六条第二項後段に違反する。

仮に、審査会の仲裁判断が裁判ではないとしても、審査会の仲裁は、憲法第七六条第二項後段の脱法を目的としたものであるから、この点において右規定に違反するものである。

(三) 建設業法第一条は、建設工事の適正な施工を確保すること並びに建設業の健全な発達を計ることを同法の目的のうちに掲げているが、その趣旨は、発注者の保護を度外視して、建設業者の保護育成をするというものである。従つて、同法により設置された審査会は、仲裁をするに当たり、同法第一条により、建設業者のために一方的に有利で偏頗な仲裁判断をすることを義務付けられており、公正な立場に立つて仲裁判断をすることは許されていない。

このように、審査会による仲裁の制度は、建設工事についての紛争を建設業者に一方的に有利に解決するために設けられたものであつて、当事者が裁判所において裁判を受ける権利を不当に奪うものであるから、憲法第三二条に違反する。

(四) 民事訴訟法第七八八条は、仲裁契約に仲裁人の選定についての定めがないときは、各当事者は、それぞれ一名ずつの仲裁人を選定することができる旨を定め、仲裁人の選定についての当事者の意思を尊重している。これに対し、建設業法第二五条の一六第二項は、仲裁人に相当する仲裁委員の指定方法について、当事者が審査会委員又は特別委員の中から合意で選定した者を審査会会長が指名するのを原則とし、右の合意が調わないときは、審査会会長が右の委員又は特別委員の中から指名する旨を、同法施行令第一八条は、審査会が当事者に対し委員及び特別委員の名簿の写を送付してから二週間以内に当事者が合意により選定した仲裁委員の氏名を審査会に通知しないときは、右の合意が調わなかつたものとみなす旨をそれぞれ定めている。しかし、当事者が二週間以内に合意により仲裁委員を選定することは事実上不可能であるから、審査会の仲裁において、当事者は、仲裁委員の選定についての自由を大幅に制限されている。

また、民事訴訟法第七九三条は、仲裁契約で定めた仲裁人が死亡した場合並びに仲裁人の意見が可否同数に分れた場合には、仲裁契約が失効する旨を定め、当事者に、裁判所における通常の訴訟手続による裁判を受ける途を開いているのに対し、建設業法第二五条の一六第一項は、仲裁委員の定数を三名とする旨を定めているから、仲裁委員の判断が可否同数となることはあり得ず、また同法施行令第二〇条第二項は、仲裁委員に欠員を生じたときは、新規に仲裁委員を指名する場合の規定を準用して欠員を補充する旨を定めているから、審査会の仲裁においては、仲裁契約が失効することにより当事者が裁判所における通常の訴訟手続による裁判を受けられる結果となる場合を封じている。

このように、建設業法第二五条の一六第一項第二項、同法施行令第一八条、第二〇条第二項は、民事訴訟法の規定に比較し、審査会の仲裁について、当事者が仲裁委員を選定する自由を大幅に制約するとともに、当事者が裁判所における通常の訴訟手続による裁判を受ける途を狭めるものであるから、審査会による仲裁の制度は、憲法第三二条に違反する。

(五) 昭和四六年法律第三一号による改正前の建設業法第二五条の一九は、都道府県建設工事紛争審査会(以下「都道府県審査会」という。)の仲裁判断に対する異議申出の制度を設け、右の仲裁判断に不服のある当事者に対し、異議を申し出ることにより、中央建設工事紛争審査会(以下「中央審査会」という。)の再度の仲裁判断を受けることのできる権利を保障していたが、建設業法の一部を改正する法律(昭和四六年法律第三一号)は、紛争を早期に解決することを目的として右の異議申出の制度を廃止した。

しかしながら、右の改正は、都道府県審査会の仲裁判断の公正並びに適正を担保するための代償措置を講じないままに当事者の既得権である異議申出権を不当に奪つたものであり、その結果当事者は、不当な仲裁判断であつてもこれを甘受しなければならなくなつた。したがつて、右の改正は、憲法第三二条に違反する。

三  抗弁

本件仲裁判断には次の取消事由があるから、執行判決をすることは許されない。

1  本件仲裁判断には、次のとおり仲裁手続をすることが許されない事由があつた。

(一)(1) 被告は、昭和五〇年八月七日原告との間で、千葉県鎌ケ谷市初富五本松九二四番地二五〇に被告の邸宅を建築する工事を原告に請け負わせる旨の契約(以下「本件請負契約」という。)を締結した。本件請負契約の締結に当たつては、建設省の中央建設業審議会で決定した民間建設工事標準請負契約約款(甲)(以下「本件約款」という。)を用いて契約書が作成されたが、その第二九条は、当事者は、本件請負契約に関する紛争をまず斡旋又は調停に付し、これが打ち切られたときは、原告と被告は、右の紛争を審査会の仲裁に付し、その仲裁判断に服する旨定めていた。

(2) そして、建設省は、建設に関する紛争を審査会の仲裁に付することが建設業法第一条が定める建設業者の保護育成の目的に副うとの立場において、行政指導に藉口して建設業者及び発注者に対し、右の仲裁条項を含む本件約款を使用することを強制していたところ、発注者は、請負契約に不馴れであるため、約款について十分な吟味をしないまま建設業者を信頼して本件約款による請負契約を締結することになり勝ちであつた。本件約款は、このような状況のもとにおいて、契約として取り交わされたものであるから、これにより、発注者である被告から、建設工事に関する紛争について裁判所における裁判を受ける権利を奪うものであつて、憲法第三二条に違反し無効である。したがつて、原告と被告の間には、有効な仲裁契約が存在しない。

(二) 原告と被告が本件請負契約を締結するに当たつて作成した契約書には、代金額を金三〇〇〇万円の確定額とする旨並びに本件請負契約については、本件約款の定めによる旨が記載されていた。

したがつて、本件約款の仲裁条項は、その主たる契約である本件請負契約の代金額についての定めが、金三〇〇〇万円の確定額であることを前提とするものというべきである。

しかるに、原告は、仲裁手続において、本件請負契約の代金額の定めは、最低額を金三〇〇〇万円とし、これを超える工事費用を要したときは、実際に工事に要した費用額を代金額とするもの(以下このような代金額の定めの請負契約を「概算請負契約」という。)であつた旨を主張し、これを前提として、本件請負契約の工事に実際に要したとする金四七一四万三六三〇円から被告の既払代金二五〇〇万円を控除した残金二二一四万三六三〇円を被告に対して請求した。原告の右の主張は、右の契約書の記載と牴触するものであり、したがつて、原告の請求は、右契約書による契約が無効であることを前提とするものというべきである。そうであるとすれば、本件請負契約に付随する本件約款中の前記仲裁条項も無効であると解すべきであるから、原告と被告との間には、有効な仲裁契約が存在しない。

(三) 被告は、本件請負契約の締結に当たり、本件約款中に右の仲裁条項が含まれていることを認識していなかつたし、仮にこれを認識していたとしても、仲裁の意味を紛争の当事者を仲直りさせることであるという程度のものと誤信していた。したがつて原告と被告の間の仲裁契約には要素の錯誤があり無効である。

2  本件仲裁判断には、次のとおり、適法な理由が付されていない。

(一) 本件仲裁判断の理由第二項(以下「理由」という。)1は、本件請負契約における代金額の定めについて、本件請負契約は、最低代金額を金三〇〇〇万円とする概算請負契約であつた旨を認定し、代金額は金三〇〇〇万円の確定額との約定であつたとの被告の主張を排斥した。

しかしながら、原告と被告が本件請負契約を締結するに当たつて作成した契約書には、代金額を金三〇〇〇万円の確定額とする旨が明記されているのであるから、右の認定は、採証法則を誤つた恣意的なものであり、理由としての体をなしていない。

(二) 理由2は、本件請負契約に、電気器具や給排水衛生設備等を設置する工事(以下「電気器具工事等」という。)が含まれるとの被告の主張に対し、契約書に添付された見積書には、建築工事の本体については内訳の明細までが記載されていたのに、電気器具工事等については、その合計金額のみが表示され、内訳の明細については何らの記載もされなかつたことを根拠として、電気器具工事等は、本件請負契約の範囲外のものであつた旨を認定した。

しかしながら、契約書に添付された見積書に記載されている以上は、内訳の明細までが記載されていなくとも、電気器具工事等は、本件請負契約の範囲内のものであると認めるのが論理的な判断であり、右の認定は、これに反するものであつて、理由としての体をなしていない。

(三) 理由3は、訴外野口憲男(以下「訴外野口」という。)が本件請負契約の締結に当たつて被告の代理人として原告と交渉し、本件請負契約についての合意を成立させたとして、その効果を被告に帰せしめているが、右の判断は、被告から訴外野口に対する代理権授与についての認定判断を脱漏しているから、理由としての体をなしていない。

(四) 理由4は、原告が本件請負契約に基づく工事に要した費用について、原告が仲裁手続に証拠として提出した「宮下邸工事見積・実際額比較表」と題する書面の工事項目別の請求金額と本件仲裁手続における鑑定人大上康輔の本件の工事竣工時を基準とした工事項目別の費用額についての鑑定の結果を対照し、いずれか低い額を各工事項目別の費用額であるとした上で、本件請負契約の工事に原告が要した費用は、合計金四二四二万九一九四円であつた旨を認定した。

しかしながら、原告の提出にかかる右の書面に記載された費用額は荒唐無稽なものであり、他方右鑑定人作成の鑑定書も、鑑定結果としての金額のみが記載されたものであつて、信用性に乏しいものである。しかるに、本件仲裁判断は、このように信用性に欠ける鑑定結果と右書証とを対照して費用額を算定したことについての合理的な説明をせず、また各工事項目別の費用額も掲げていないから、理由としての体をなしていないものである。

(五) 理由5は、被告の仲裁契約の不存在及び要素の錯誤の主張に対し、原告と被告との間の東京地方裁判所昭和五二年(ワ)第九九六三号債務不存在確認請求事件(以下「本件前訴」という。)の被告(本件原告)の仲裁契約の抗弁を採用した訴却下の判決の理由を引用し、原告と被告との間に仲裁契約が成立したこと、右事件原告(本件被告)は、仲裁契約を締結するに当たり、当事者間に紛争が生じたときは本件約款の条項によつて解決がなされることについての抽象的意識があつた旨並びに同原告(本件被告)は、弁護士を代理人として選任した上で仲裁手続の審査期日に出頭して本人として供述したから仲裁判断を追認した旨を認定した。

しかしながら、右仲裁判断の理由において引用する本件前訴の判決理由は、当事者間に拘束力を及ぼすものではないし、被告は、都審査会からの呼出に応じてやむなく仲裁手続に出頭したにすぎないから、このことにより被告が仲裁手続により紛争を解決することを追認したものと認められる根拠もない。したがつて、本件仲裁判断の理由は、右の点において民事訴訟法の解釈を誤つたものであつて、理由としての体をなしていない。

(六) 理由6は、仮に、訴外野口が被告を代理する権限を有していたとしても、原告は、訴外野口に対し金一〇〇万円を賄賂として交付したから、訴外野口が被告のためにした行為は無権代理となるとの被告の主張に対し、原告から訴外野口に対して交付された右の金員は謝礼であり、違法性はなかつた旨を認定して被告の右主張を排斥した。

しかしながら、合理的な理由を示すことなく右金員の交付をもつて賄賂ではなく謝礼と解したのは、恣意的な判断であつて理由としての体をなしていない。

(七) 理由7、8及び10後段は、本件請負契約において、工事完成期限を昭和五一年一月二〇日とし、遅延損害金は一日当たり金三万円の割合とする旨並びに本件建物の鴨居及び長押の材質は赤味のものとし、階段の材質は欅とする旨定められていたのに、原告は、右の約に反して鴨居及び長押に白味の材木を、階段には集成材を使用したため、監理技師であつた訴外野口の指示により、右各材料を約旨に副うものに取り替えたが、鴨居及び長押の材料の取替えに約一か月間、階段の材料の取替えに約三週間を要し、その間工事を遅延させたほか、原告の責に帰すべき事情により一四二日間工事の完成が遅延したので、被告は、代金額から右期間の遅延損害金に相当する金四二六万円が控除されなければならない旨を主張したのに対し、鴨居、長押及び階段の材料の変更は、いずれも被告の指示によるものであるから、その取替工事のための工期遅延の責任は被告にあるものとし、原告の責に帰すべき工事完成の遅延は約一か月間であつて、これにより被告の受けた損害は、本件建物の一か月分の賃料に相当する金四〇万円が相当であるとして代金額から右金額のみを控除した。

しかしながら、本件請負契約に用いられた本件約款によれば、原告は工事の材料については監理技師訴外野口の検査を受けなければならず、工事の内容が契約に適合しないときは、訴外野口は、原告に対し、当該部分の改造を指示することができ、これに伴う工期の遅延の責任は原告が負うべき旨原告と被告の間で約定されていたこと及び前記の遅延損害金の約定があつたことは明らかであり、右の材料の取替えは、右の約に基づく指示によりなされたものであるから、これに基づく工期の遅延が原告の責に帰すべきものであることは証拠上明らかであるうえに、右の遅延損害金の算定方法は恣意的なものであつて、理由としての体をなしていない。

(八) 理由9は、原告が追加変更工事であると主張する工事は、全部訴外野口の指示により実施させたものであるとしたうえで、右の工事費用は、金一五九六万二七六二円であつた旨が記載された原告提出にかかる書証並びに本件請負契約は代金額を三〇〇〇万円の確定額であつたとする被告の主張は、いずれも鑑定の結果に照らし採用できない旨を説示している。

しかしながら、右の理由は、訴外野口の代理権の有無並びに追加変更工事の内容についての判断を脱漏しており、理由としての体をなしていない。

(九) 理由10前段は、被告が本件請負契約の内容となつていた家具の取付けにつき、原告の訴外久保田工務店等に対する家具購入代金等合計金三二五万九二五〇円を立て替えたので、代金額から右金額が控除されるべきであるとの被告の主張に対し、右の家具等は、いずれも被告が独自に発注したものであり、その代金は被告が自ら支払うべきものであつた旨判断した。

しかしながら、右の認定は、十分な証拠に基づかないものであるばかりか、仮に事実関係が右の理由のとおりであるとすれば、家具工事等は、本件請負契約に基づいて原告が施工すべき工事であるから、原告は、右の工事を怠つたこととなり、被告は、原告の右の債務不履行の結果として、自ら右の家具等を発注したこととなるから、原告に対し、右代金額に相当する損害賠償請求権を取得したはずであるのに、右の理由は、この点についての判断を脱漏したものである。したがつて、いずれにしても、右の理由は不備なものであり、理由としての体をなしていない。

(一〇) 理由11は、原告と被告は、昭和五一年六月一五日被告が原告に対して残代金として金五〇〇万円を支払うことにより両者の間の一切の支払関係を精算する旨の合意が成立し、被告は同月一六日原告に対し右金員を支払つたから、被告には残代金の支払義務はないとの被告の主張に対し、右精算の合意を否定し、右金五〇〇万円の支払は、内金の趣旨であつた旨を認定した。

しかしながら、右の理由は確たる証拠に基づくことなく被告の右の主張を排斥したものであつて、理由としての体をなしていない。

(一一) 理由12は、原告の施工した瓦、階段親木、吹抜き壁、基礎、左官、雨樋等の各工事には、補修を要する瑕疵があり、被告は、原告に対する補修費用に相当する金五二七万三五〇〇円の損害賠償請求権を有するから、これを自働債権として請負代金債権と対当額で相殺するとの被告の主張に対し、被告が瑕疵の主張をしたのは仲裁の最終の期日においてであり、その立証もなされていないとして被告の右の主張を排斥した。

しかしながら、被告は、仲裁手続において瑕疵修補費用の見積書を証拠として提出しており、これを無視した右の理由は理由としての体をなしていない。

(一二) 理由13は、理由1ないし12を前提として、被告が原告に対して支払うべき残代金額を金一七〇二万九一九四円と認定したが、理由1ないし12がいずれも理由としての体をなしていない以上、右の認定も理由としての体をなしていない。

四  抗弁に対する認否及び原告の主張

1  第1項の事実中(一)(1)の事実は認め、その余は否認する。

本件前訴において、被告(前訴原告)は、本件請負契約に基づく請負代金債務の不存在確認を求めたところ、昭和五三年六月三〇日東京地方裁判所は、原告(前訴被告)の仲裁契約の抗弁を採用して被告(前訴原告)の訴えを却下し、右判決は確定した。したがつて、原告と被告との間に有効な仲裁契約が存在することは、本件前訴の判決により確定した。

2  第2項の主張は争う。仲裁判断の理由1ないし13は、いずれも適法なものであり、仲裁判断として欠けるところはない。

第三  証拠関係<省略>

理由

一1  請求原因事実は当事者間に争いがない。

2  被告は、本件仲裁判断の根拠となつている建設業法及び民事訴訟法の規定等に憲法に違反する点があると主張するので、これについて判断する。

(一)  被告は、建設業法第三二条の一六第四項により審査会の行う仲裁に適用される民事訴訟法第八編の仲裁についての規定が憲法第三二条に違反すると主張する。

憲法第三二条は、何人も裁判所において裁判を受ける権利を奪われない旨規定し、裁判所において裁判を受ける権利を保障している。しかしながら、私法上の権利義務関係については、私的自治の原則が妥当するから、その権利義務についての争訟の解決についても当事者の自由意思が尊重されるべきであり、当事者が、その自由な意思により一定の私法上の権利義務についての争訟に関して裁判所における通常の訴訟手続による裁判を受ける権利を放棄し、他の手段によつて右の紛争を解決することを選択することは、憲法第三二条によつて禁止されるものではないというべきである。そして仲裁は、当事者の自由な意思による仲裁契約に基づいて、当事者間の一定の私法上の権利義務に関する争訟についての判断を、裁判所における通常の訴訟手続による裁判によることなく、第三者である仲裁人による、拘束力のある仲裁判断に委ね、これにより私法上の権利義務に関する争訟を終局的に解決する制度にほかならない。そこで、当事者間において一定の権利義務関係について仲裁契約が締結されると、当該権利義務に関する争訟を裁判所における通常の訴訟手続による裁判で解決することは許されなくなり、当事者の一方がこれに関する訴えを裁判所に提起しても、相手方当事者が仲裁契約の抗弁を提出すると、その訴は不適法なものとして却下されることとなるが、それは、当事者が仲裁契約を締結したことによつて、自ら当該権利義務に関する争訟について裁判所における通常の訴訟手続による裁判を受ける権利を放棄したことに基づくものというべきである。したがつて、この点において仲裁が憲法第三二条に違反するものということはできない。被告は、さらに、民事訴訟法第八〇〇条が仲裁判断に裁判所の確定判決と同一の効力を認めていること並びに同法第八〇一条第一項各号が仲裁判断の取消事由を厳格に制限的に列挙していることをもつて、憲法第三二条に違反すると主張するが、前述のとおり、仲裁は、当事者間の私法上の権利義務に関する争訟を裁判所の通常の訴訟手続による裁判によることなく終局的に解決することを目的とするものであるから、一旦仲裁判断がなされた以上は、もはや原則としてその効力を争うことができないものとし、その取消事由を厳格に制限する必要があることは、裁判所の確定判決における場合と何ら選ぶ所がないというべきである。そうすると、民事訴訟法第八〇〇条及び第八〇一条の規定は、いずれも仲裁制度の本質にかかわる必要に基づくものであり、その内容においても何ら不合理な点はないから、右各規定は、いずれも憲法第三二条に違反するものではない。

(二)  被告は、審査会が行う仲裁は、憲法第七六条第二項後段に違反すると主張する。

憲法第七六条第二項後段は、行政機関は、終審として裁判を行うことができない旨定めているところ、建設業法(昭和三一年法律第一二五号による改正後のもの)第二五条以下の規定によれば、建設工事の請負契約に関する紛争の解決を目的として、建設省に中央審査会を、都道府県に都道府県審査会を、それぞれ設置し、これらの行政機関により右の紛争についての斡旋、調停及び仲裁を行うものとしているが、仲裁は、当事者双方の合意による仲裁契約に基づいて行われる非権力的な争訟の解決制度であり、相手方当事者の意思に拘りなく、司法権の権力的作用により争訟の解決を行う裁判とは、その本質を異にするものというべきであり、また、一般私人が仲裁人としてすることが許されている仲裁を、行政機関である審査会が行うことを禁止しなければならない合理的な根拠もないというべきであるから、審査会が行う仲裁は、行政機関による裁判ではなく、また、行政機関による裁判の禁止を潜脱するものでもないから、憲法第七六条第二項に違反するということはできない。

(三)  被告は、建設業法は、発注者の保護を度外視して建設業者の保護のみを目的とするものであり、同法所定の審査会による仲裁も右の目的を実現するための制度であるから憲法第三二条に違反すると主張するが、同法の目的が建設工事の適正な施工を確保し、発注者を保護するとともに、建設業の健全な発達を促進し、これによつて公共の福祉を増進するにあることは、その第一条(昭和四六年法律第三一号による改正後の建設業法第一条)に明記されているところであるから、建設業法に関する被告の右主張は、明文の定めを無視した独自の見解にたつものであつて到底採用することができない。そうすると、被告の右憲法違反の主張は、その前提を欠くものであるから、建設業法に定める仲裁の制度が右の点において憲法第三二条に違反するものということはできない。

(四)  被告は、審査会による仲裁における仲裁委員の定数、指名方法及び欠員の補充方法を定めている建設業法第二五条の一六第一項、第二項、同法施行令第一八条、第二〇条第二項は、民事訴訟法第七八八条、第七九三条に比較すると当事者に著しく不利益なものであるから、審査会による仲裁は憲法第三二条に違反すると主張する。

しかし、審査会による仲裁は、専ら建築工事の請負契約に関する紛争を対象とし、常設の紛争処理機関として審査会を設置したうえ、専門的見地に立つて迅速かつ適正に紛争を処理しようとするものといえるから、その手続等につき、民事訴訟法の仲裁についての規定の特則を設ける必要があり、これに基づいて、建設業法第二五条の一六第一項は、仲裁委員の定数を三名とする旨を、同条第二項は、仲裁委員は、審査会長が審査会委員又は特別委員の中から当事者が合意で選定した者を指名し、合意による選定がなされなかつたときは、審査会会長が、審査会委員又は特別委員の中から指名する旨を、同法施行令第一八条は、審査会が当事者に委員及び特別委員の名簿を送付してから二週間以内に当事者が合意により選定した仲裁委員の氏名を審査会に通知しないときは、合意による選定がなされなかつたものとみなす旨を、同法施行令第二〇条第二項は、仲裁委員が死亡等により欠けたときは、新規に仲裁委員を指名する際の規定を準用して欠員を補充する旨をそれぞれ定めているが、これらの規定の内容は、審査会による仲裁の運用に関して合理的なものであり、かつ、当事者にとつて必ずしも不利益なものということはできないから、これらの規定が憲法第三二条に違反するものということはできない。

そして、民事訴訟法第七八八条は、当事者が仲裁契約において仲裁人の選定に関して何の定めもしなかつた場合の補充的な規定にすぎず、同法第七九三条は、仲裁手続を続行して仲裁判断を下すことができない障害を生じた場合に仲裁契約が失効する旨を定めたにすぎないものであるから、このような例外的な事態に対処するための民事訴訟法の規定と前示建設業法及び同法施行令の各規定とを比較して直ちに後者が当事者にとつて不利益であると断定することはできないものというべきである。

以上のとおりであるから、審査会による仲裁の制度が右の点において憲法第三二条に違反するものということはできない。

(五)  被告は、建設業法の一部を改正する法律(昭和四六年法律第三一号)が建設業法(右改正前のもの)第二五条の一九を削除し、同条が定めていた都道府県審査会の仲裁判断に対する異議申出制度を廃止したことは、憲法第三二条に違反すると主張する。

たしかに、右改正前の建設業法第二五条の一九、第二五条の一五第二項は、都道府県審査会の仲裁判断に不服のある当事者は、異議を申し出ることができ、異議申出があつたときは、仲裁判断は効力を失い、中央審査会が再度の仲裁を行う旨を定め、仲裁について、いわば二審級制を採用していたところ、右改正法律により異議申出制度が廃止された経緯がある。しかし、審査会の仲裁について二審級制を採用しなければならない憲法上の要請は何ら存しないから、審査会の仲裁を一審級限りのものとするか、二審級制のものとするかは、立法政策上の問題にすぎないというべきである。したがつて、異議申出制度が廃止されたこと及びその結果として現行法が仲裁を一審級限りとしていることをもつて憲法三二条に違反するものということはできない。なお、本件仲裁契約は右改正の後に締結されたものであるから、被告が契約締結の際に有していた異議申出についての期待を右改正により侵害されたということもできない。

二そこで、被告の抗弁について判断する。

1  仲裁手続をすることが許されない事由があつたとの主張について

原告と被告が、昭和五〇年八月七日本件請負契約を締結したこと及び本件請負契約につき本件約款を用いた契約書が作成され、同約款中には、原告と被告との間に本件請負契約に関して紛争が生じたときは、建設業法による審査会の斡旋又は調停に付し、これが打ち切られたときは、審査会の仲裁に付し、その仲裁判断に服する旨の仲裁契約条項が含まれていたことは当事者間に争いがない。

そして、<証拠>を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(一)  原告は、昭和五一年一一月ころ右の仲裁契約条項に基づき、まず、都審査会に対し、被告を相手方として本件請負契約の残代金二二一四万六六三〇円の支払を求める建設工事紛争調停(東京都建設工事紛争審査会昭和五一年(調)第二四号事件)を申し立て、昭和五二年二月二八日から同年一一月一一日まで九回にわたり調停期日が開かれた。

(二)  被告は、昭和五二年一〇月二〇日本訴原告を被告として、本訴被告には、本件請負契約に基づく本訴原告に対する工事代金二二一四万三六三〇円の支払義務がないことの確認を求める訴え(本件前訴)を東京地方裁判所に提起した。これに対し、本訴原告(前訴被告)は、本案前の抗弁として、右仲裁契約条項のとおりの仲裁契約が本訴原告(前訴被告)と本訴被告(前訴原告)との間に存在する旨を主張した。そして、東京地方裁判所は、昭和五三年六月三〇日、右の仲裁契約の抗弁を採用して本件前訴を不適法として却下する旨の判決を言い渡し、右判決は確定した。

原告は、昭和五三年七月二七日被告を相手方として、本件請負契約に基づく工事残代金二二一四万三六三〇円の支払を求める仲裁を都審査会に申し立てた。そして、右申立てに基づき本件仲裁判断がなされた。

以上のとおり認められる。

右事実によれば、東京地方裁判所が本件前訴につき昭和五三年六月三〇日にした判決の確定により、本件請負契約による請負代金債権の存否に関する訴訟は、原被告間に昭和五〇年八月七日成立した仲裁契約が存在することにより許されないものであることが確定されたというべきである。そして、右訴訟が許されないのは、右仲裁契約により、当事者双方が右債権の存否に関する紛争につき仲裁手続に服し、仲裁判断に拘束されることを前提とするものであるから、右判決の既判力は、ひとり右請負代金債権の存否に関する訴訟が仲裁契約の存在により訴訟要件を欠くことについてのみ生じたものではなく、いわばその反面として、右判決により、各当事者は、右紛争については仲裁手続に服しなければならず、仲裁契約が不存在ないし無効であるとして、その手続の不適法又は仲裁判断の取消を主張することは許されないことが確定されたものと解すべきである。けだし、後者の点について既判力が生じないとすれば、当事者は、一方において訴訟による紛争解決を拒絶され、他方において仲裁による救済を受けることもできない状態に陥るおそれがあるからである。

そうすると、原告及び被告は、右判決の既判力の基準時より前に生じた事由により、仲裁契約が効力を有しないことを理由として仲裁手続が許されないとの主張をなすことができないものであるところ、被告が本訴において仲裁手続をすることが許されないことの根拠として主張する事由は、いずれも右の基準時以前の事情であるから、その既判力に抵触し、本訴において主張することの許されないものである。

なお、被告は、本件約款は、建設省の行政指導により使用を強制されているから、憲法第三二条に違反すると主張するが、本件請負約款につき、行政指導により本件約款の使用が強制された事実を認めるに足りる証拠は存在しないから、被告の右主張は理由がない。

以上の認定及び判断によれば、本件仲裁判断につき仲裁手続をすることが許されない事由があつたということはできないから、この点に関する被告の抗弁は、理由がない。

2  本件仲裁判断には適法な理由が付されていないとの主張について

<証拠>によれば、本件仲裁判断の理由においては、本件請負契約における代金額の認定を判断の主要な対象としているところ、その骨子は、本件請負契約は、工事代金額を最低金三〇〇〇万円とし、これを超える工事費用を要したときは実際の費用額を代金額とする概算請負契約であつたとした上で、各工事項目別の費用額を鑑定の結果に基づいて原告の主張する金額を上限として認定し、その合計金額を金四二四二万九一九四円と算出し、右金額から被告が代金内金として支払済みの金二五〇〇万円及び原告の責に帰すべき一か月間の工事の遅延による損害金四〇万円を控除した残金一七〇二万九一九四円をもつて被告が原告に対して支払うべき本件請負契約に基づく残代金額であるとしたものであり、更に、右理由においては仲裁手続において各当事者が指摘した争点に触れ、これに対する判断を必要な限りにおいて説示していることが明らかであつて、これによれば、仲裁委員の本件仲裁判断における判断の過程を明らかに知ることができるものというべきである。

そして、仲裁は、当事者の合意を基礎として、裁判によらずして紛争を解決する手続であることを考慮すれば、仲裁判断においては、仲裁人は、必ずしも法律の規定のみに依拠しなければならないものではなく、当該事件における具体的な事情を参酌して公平の見地から判断を加え、妥当な結論を導くことができるものと解すべきであり、また、仲裁判断に付すべき理由も、仲裁人が当該仲裁判断における結論に到達するに至つた判断の過程の大綱を知ることができる程度の記載があれば足りるものであつて、判決のように逐一証拠に基づく事実認定をし、かつ、細部にわたる法律判断をすることまでは求められていないものというべきである。

そうとすれば、本件仲裁判断における前示理由の記載は仲裁判断の理由として欠けるところはないから、本件仲裁判断において、理由が付されていなかつたということはできない。

三結論

以上によれば、本件仲裁判断について執行判決を求める原告の本訴請求は理由があるから認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を、仮執行宣言について同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官橘 勝治 裁判官櫻井達朗 裁判官遠山和光は、転補のため署名捺印することができない。裁判長裁判官橘 勝治)

仲裁判断

一 当事者

1 申請人

株式会社木成建設(本件原告)

2 被申請人

宮下栄吉(本件被告)

二 仲裁者

東京都建設工事紛争審査会

三 仲裁事件名

同審査会昭和五三年(仲)第六号建設工事紛争仲裁申請事件

四 仲裁の日

昭和五八年一一月二四日

五 仲裁の主文

1 被申請人は申請人に対し、金一七〇二万九一九四円を支払え。

2 仲裁費用は各自の負担とする。

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